始まりに同じ景色を見た
ひび割れたアスファルトの上を、ふたりの少女が歩いていた。
少女の視界の先には草木と田んぼがどこまでも続いていて、遠くには青々とした空と、薄い山だけが広がっている。
風が吹くと、少女のひとり、白宮のぞみの青白い長髪が揺れだす。
その様子を見たもうひとりの少女、立花蘭が自らの左手でのぞみの右手を握りしめると、のぞみもそれに応えるように蘭の左手を握り返した。
「私たちのRPG部、きょうから始まるんですねっ」
「はいっ。黙認みたいなものですけど、校長先生から部室の許可を貰えましたから!」
西暦2078年4月13日、水曜日、快晴の日。
都心から遠く離れた人類の開拓の最前線、第2文明圏の、そのまた辺境に建つ私立楼附高等学校という小さな高校にふたりが入学し、登校を始めてからわずか3日目のことであった。
◇
「ふんふんふふーんっ」
昼過ぎも終わるころ、教室の机の上から鼻歌が響いた。少女、白宮のぞみの鼻歌である。
勉強にも、蘭以外の生徒にも一切の興味を持たないのぞみにとって授業とは日常で最も退屈な時間であった。そんなのぞみが教室でやることといえば、出た問題の答えを即答することと、自前のメモ帳に遊んだゲームの情報を書くことがほとんど全部だったが、しかしのぞみの心は、きょうに限ってこれ以上ないほどの高揚感に包まれていた。
何せ、きょうは入学直後から準備を進めていた部活動、RPG部の部室が使えるようになる初めての日だったのだから。
「おーい、立花さんっ。……ああ、今はいないんでした。確か部室の調整がどうとかで……
よし、だったらこうするだけですっ。やっぱり、折角テレパシーできるんですから使わないと損ですよねっ」
紙に書かれた問題を10分で書き終えたあと、退屈極まったのぞみは隣の席にいる蘭に話しかけようとして、蘭が授業を自主欠席していたことを思いだす。瞬間、のぞみは閃いたように目を閉じて両手を重ね、蘭に向かってテレパシーの思念を送り始めた。
《立花さん、失礼します。部活の準備できてますか? こっちはもう退屈で退屈で……》
《寂しがりやさんですかっ。……はい、万全ですよ。授業が終わったらいつでも来て構いませんからね》
《おーけーですっ!》
そうしてテレパシー越しに蘭の言葉を聞いたのぞみは、安心したように笑ってテレパシーを切り、再び退屈そうに自らの右手を頭に乗せた。
白宮のぞみは超能力者である。このようなテレパシー能力に加えて、テレポート、アポート、アスポートなど多くの超能力を扱えるのがのぞみだったが、ただ、その超能力の大半は日常生活で楽をするためか、蘭と話す為だけに使われていた。
「はい、それではきょうの授業はこれで終わりです。次の時間は放課後となりますので――」
「よし! 待っててください立花さん、今行きますから!」
数分後、そのままの体勢でうとうとしていたのぞみの耳に、6時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
教師の言葉を聞いてハッとしたのぞみは他の誰よりも早く教室から脱出すると、生徒の怪奇の目を無視して全速力で廊下へ向かう。行先は蘭が待つRPG部の部室。テレポートは自分が知らない場所には使えないから、徒歩で駆けていって。
廊下を抜けたのぞみが校舎裏の扉を開けると、のぞみの視界に草と木々が生い茂る、明らかに人の手が加えられていない裏庭と、裏庭の更に隅にある古びた建物が映った。
「……ふぅ、ふぅ。あっ、あれが私達の……ふふっ、良いじゃないですか」
建物に近づき、風でざわつく草木を横目に観察を始めたのぞみは、すぐにそれが高さ3メートル、横幅10メートルほどのコンクリート造りの建築物であることを知る。校長先生曰く築50年のこの建物は外装にひび割れはあっても錆びは一切なく、加えて、木造りの扉の横に「RPG部」と書かれた白い板が貼られているのが見える。これがRPG部の部室の外観だった。
観察を終えて頬を緩ませたのぞみに蘭の声が届いた。すぐさま部室の前まで向かったのぞみは、右手のひと押しで鍵のかかっていない扉をかこんと開ける。
扉の先で待つ蘭に「おじゃまします」と返事をしながら、のぞみは静かに部室に入ろうとして――部室の内装を見ると同時に立ち止まり、その場に崩れ落ちた。
「あかいひかりがゆらめくとき、おもいだしたかったこともわすれてしまって――♪」
壁際に立ち並ぶ6つのロッカー、部屋の奧の真っ白なホワイトボード。
隅に置かれた木時計とテレビ、ガラス張りの簡素な窓、清潔に保たれたフローリングの床。
中心に置かれた大きな円卓と6脚分の椅子に、天井に掛けられた2灯の白熱電球。それから円卓の上にある2台の携帯型ゲーム機とゲームソフトのケース。
そして、まばゆいほどの太陽の光に照らされながら、椅子に座ってアップライトピアノを演奏する親友、立花蘭の姿――。
ただ、その景色が美しくて、のぞみはあっけにとられるように、そして見惚れるようにそれを見上げ続けていた。中学生のころ、蘭と出会ったあのときから夢見ていた光景。そのすべてがのぞみの目の前にあったのだから。
「ご清聴、ありがとうございました」
「……あ、すうっ、う、っ……すうーっ、はぁーっ、すっ、はっ、っ、ううっ」
「はい、のぞみちゃん。今行きますよ。……まったく、ピアノなんて置いてくれちゃって。
校長先生はきっと私のこと、知ってくれてたんですね」
頭のなかで目の前の景色を飲み込もうとして、のぞみは飲み込み切れずに息を早める。
何度深呼吸をしてものぞみの高揚は収まらなくて、数秒経たずに限界がきたのぞみは両手で顔を覆う。それでも視界だけは手で覆わず、駆け足で向かってくる蘭の姿を、のぞみは少しだけ顔を上げて直視し続けていた。
のぞみの正面、互いに1歩の距離まで近づいた蘭はそこで立ち止まり、自らの左手をのぞみに差しだす。見上げてくるのぞみの口元はまるで自分のそれのようにほころんでいて――。
「立花さんっ!」
「えっ、ちょっ、わぷっ、も、もう、き、急に何ですか、のっ、のぞみちゃ、っ」
「だって、だって……私の夢、やっと叶ったんですから……! もしRPG部ができたら、
こうやって立花さんと一緒にって、えへへっ――」
ふらつきながら立ち上がり、両手を広げて飛び込んだのぞみに蘭は抱きつかれた。
蘭がのぞみの体を全身で受け止めると、のぞみの青白い長髪がふわりと揺れて、そのままのぞみの顔も蘭の首元にうずまる。のぞみは泣きながら笑っていて、のぞみのその声を聞いた蘭がのぞみを抱き返すまで数秒も掛からなかった。
「……もう、寂しくはさせませんよ。ずっと、私がついてますから」
「ありがとう、ございますっ、立花さん! うん、私、大丈夫になりましたっ」
数分後、ようやく蘭の体から離れたのぞみは近くの椅子に腰掛けたあと、円卓の上のソフトケースからカートリッジ状の同じゲーム2本を手に取ってそれぞれのゲーム機に差し込む。
ゲームの名前は「リアリティスター・ノヴァ」。内容は、無線通信を使って多人数で協力しながらクエストの達成を目指す協力型の3DアクションRPGであった。
「よーし、16時ぴったりですね。さあ、それでは立花さん、きょうの部活動を始めますよ!」
「はいっ、のぞみちゃん!」
のぞみが自分用のゲーム機の電源を付ける。すると蘭は首を縦に振りながら隣の椅子に座り、両手で持ったもう片方の藍色のゲーム機を起動した。
2台のゲーム機の液晶画面に表示された「リアリティスター・ノヴァ」のアイコン。それに手で触れたふたりはまず、細やかな宇宙の風景と壮大なタイトルロゴに彩られたそのきらびやかなタイトル画面に目を輝かせた。
のぞみがゲーム機の決定ボタンを押すと、液晶画面にニューゲーム、コンティニュー、オプションの3つの項目が表示される。この日の為にチュートリアルを終えていたふたりが選んだのはもちろん、コンティニューの項目だった。







