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◇​

別に、のぞみひとりだけが神奈との関係を断ち切った訳ではなくて。

関係を断ち切らざるを得ない状況に追い込まれたのは私も同じで、何の庇護もないこんな場所では誰にだって起こりうる「別れ」の仕方がのぞみの場合とは違っただけで。

――「友達、やめよう」。高校への進級を控えた秋のあの日、神奈が最後に伝えてくれた別れの言葉を、私が飲み込むことができなかっただけだったのだ。

私は、だから神奈を追いかけてまで他の中学校に転校してきて、だけど神奈の別れの言葉に怯えて会いに行くことさえできなくて。そうやって過去に押しつぶされそうになっていた私を、冬になったあの日のあのとき、のぞみが救いだしてくれたというのに。

なのに、ああ、私は――きっと馬鹿か何かなのだろう。ふたりだけじゃまだ会うのが怖いのだとのぞみに縋りついて、駄々をこねるみたいにのぞみに力を借りて、RPG部の全員まで巻き込んだ合宿、なんて形にしてまで神奈に会いに行こうとしてしまったのは。

「……体、まだ震えてますね」

「……すみません。……なんだか、ずるいですよね。あれだけ無理を言って、あんな連れだしかたをしてまでここま  

 で来たのに、こんなところで……昔の私みたいになるなんて」

 

昔の私はずっと何かに怯えていた。

そして、誰よりも怖がりだった私を最初に支えてくれたのは神奈だった。

だから、かつての理恵と刀子の話をあのとき聞いた私は、ああ、似ているな、とふたりの過去に私と神奈の過去を勝手に重ねて、助けたい、なんて思いを抱いてしまったのだ。

――きっと、のぞみもあのときは同じだったのだろうな、と、今になって私は思う。

私はたぶん、今も馬鹿だ。別れた昔の友達に会いに行く為だけに、今の友達にこんなに縋りついていいのかと考えて、やっぱり、私ひとりでは駄目だなと結論付けてしまうのだから。

 

「立花さん――」

「でも、こんなに震えていても、私はもう、昔と同じままではいられないんですから」

 

私の隣で座って待ってくれるのぞみに、弱音を吐くように強がりを吐いた。

本当は怖がりだった私は、のぞみとは違って昔も今も、何も変わってはいないけれど。

首を斜めに曲げると、のぞみの真剣な顔つきが見える。それだけで縋りたい気持ちが抑えられなくなって、のぞみの方に手を伸ばしてしまう。

柄にもない私の行動に、のぞみはそれでも私の手をぐっと握って応えてくれた。

本当はあなただってその怖さに耐えられないくらい強くないくせに――。

平然としたふりをして、隣からもっと弱い私を支えてくれるのだ。私はそんなのぞみをどうしても羨ましく思ってしまう。今ばかりは普段以上にそう思えてならなくて、それでも。

 

「――だいじょうぶですよっ。だって立花さんは、私にそれを伝えてくれました」

「……もう」

「伝えたかった言葉があるなら、伝えてほしかった言葉があるなら、それを駄目になんか、私がさせてやりません

 っ。……だから、私も頑張ってここまで来ることができたんですよっ」

「……のぞみちゃんだって、ほんと、無理してばっかりじゃないですか」

「あはは、ですよねえ……」

 

握りしめた手に精一杯の力を込め、強がりを押し通す為に息を吸い、決心する。

首を向け直して正面を見上げた私の視界の少し遠くに、純白のコンクリートで形どられた長大な建物――楼附孤児院の外観と、孤児院を囲うように立てられた獣除けの柵が映った。

今は神奈だけがいるこの楼附孤児院は、かつては医療の神様を祀る教会として使われていたのだと、先週、合宿の計画をのぞみと立てた際に聞かされていた。のぞみは私にそんな神様なんて信じても意味がないと言ってくれたが、私は別に信じてみてもいいと思う。もっとも、信じた上で今の世界になってしまっているのだから、意味がないのは本当なのだろうけれど。

そんな記憶を想起しつつ、私は立ち上がって孤児院の方へ再び歩こうとする。私の体はまだ震えていた。それでも、握りしめたのぞみの手を強く引っ張って更に1歩、踏みだす。私の足はなんとか動いてくれた。こうやって動けるのだから、のぞみが傍にいてくれる限りは少なくとも大丈夫であるように歩くことはできるのかな、と思った。

 

「立花さん!」

「立花ちゃん!」

「立花ーっ!」

「わっ、理恵さん、刀子さん、美崎さんっ、皆さんまでっ」

「立花さん、あの、あたし……立花さん、ごめん、ごめんねっ……」

「理恵さん……?」

「あたしね、立花さんが震えてるの見て安心しちゃったんだ。立花さんもつらかったんだって、つらかったのはあた

 し達だけじゃなかったんだって、思ってしまって……」

「……私も、あのとき同じことを思ってました」

「……それって」

「つらくても自分から会いに行ける理恵さんが、のぞみちゃんみたいに羨ましかったんです」

「あはは、羨ましがられたのなんて生まれて初めてかも……」

 

直後、近くで待っていてくれた理恵と刀子、美崎の3人が私達に飛び込んできた。

のぞみと孤児院の方ばかりに意識を向けていたから、3人の呼び声が聞こえて理恵と体がぶつかったとき、不意を打たれた感覚がして少しだけ戸惑ってしまった。

ごめんね、と言ってくれた理恵の横顔から涙が溢れてくるのが見える。

大切なひとに会えなくなったときのつらさは誰だって違わないのだから、私達の境遇を知って安心を覚えたことなんて気にしなくてもいいのに、気にするところが理恵らしくて、ずるい言葉を素直に言ってしまう。よほど真剣に受け取ったのか理恵は少し曖昧に微笑んでくれたけど、今のところは素直じゃない言葉を返した方がよかったのかも、と考えたりもした。

真っ白な建物がだんだん私達に近づいてくる。その方向に全員で歩き続けていると、私達の目の前についに全高3メートルほどの獣除けの柵が立ちはだかった。

 

「何、あの柵……うわ、ご丁寧ね、あんな遠くの方までずっと並んでるじゃないの」

「こんなに沢山あるんだから、少しくらい倒れてるのがあってもおかしくないはずだけど……」

「……どこにも見えぬな」

「……これ、体当たりで倒すのは難しいですね。丸太のところに板が何個も張られてますし、何より大型の支柱がそ

 この地面に……んー、結構、深く埋まってますから……」

「ふふ、私に秘策あり、ですっ!」

「ぬ……なんだ、急に大声を出しおって。……おい、のぞみよ、まさかとは思う、がっ」

「……立花さん、手、ちょっとだけ離しますねっ。それじゃ、頑張ってよじ登ってきますっ!」

 

私から手を離したのぞみはハチェットをバッグに戻すと獣除けの柵にそう言い放ち、怯える美崎を抱えて柵に手をかける。

支柱にある出っ張りの部分を足場に、片手と両足だけを使って柵の頂点まで登りつめたのぞみの姿が私に見えていたのは、柵の頂点に両足をかけた体勢のまま咄嗟に美崎をバッグと背中の間に抱え直したのぞみが、柵の向こう側めがけて飛び込んだ瞬間までだった。

それから僅かな時間が経って、どさっ、という音が柵越しに響いてくる。

音を聞いて呆れ返ったしぐさをする理恵に「なんだかあたしが小さく見えるよ」と言われたから軽くそれに同意していると、柵の向こう側から愕然としただろう美崎の上ずった声と、痛がる様子もないまま私を急かしてくるのぞみの呼び声が聞こえた。

「あたし達も登ろう」と言った理恵に頷いた私はのぞみと同じように盾をバッグに戻し、刀子と一緒になって3人で柵を登り始める。

出っ張りの足場は本当に人が登ることを想定したかのような使いやすさがあり、私や理恵ほどの身体能力でも少し無理をすれば登れて、程なくして柵の向こう側へ降りることができた。

 

「おーい、立花さーんっ、こっちこっちっ!」

「……まったく。急に何をするかと思えば。何をそこで転がってるんですか」

「これはですね、あれです。一時の休憩ってやつですっ。半年くらい前までずっとここにいましたから、私、知って

 るんですよ。あっち側よりもこっちの方がけっこー安全なことっ」

「……はぁ。もう。……何なんですか。ほんと、あなたってひ、とは、あっ」

「ほらっ、立花さんも私と一緒にこうやって、寝転がってみましょうっ」

「……本当、こういうときだけは強引なんですから」

 

柵を越えた私を、仰向けになって草むらに寝転がったのぞみと美崎が迎えてくる。

衝動的にのぞみに駆け寄り、盾も握り直さないまま左手を伸ばせる限り伸ばした。くるりと体をあげたのぞみに私の左手が掴まれる。それだけで、まだ震えていた体が今度は和らいだ。

目的地の孤児院はもう100メートルもない距離にあるのだから、のぞみくらい元気があるなら近くで休むより駆け足で行ってしまえばいいのに。そう思って私はもう1度、あのときと同じ形でのぞみの手を引っ張ろうとする。けれど逆にのぞみに手を引っ張り返されて、体勢を崩して草むらの上に転ばされてしまった。

仰向けになった視界の先でわはは、とあっけらかんに笑う美崎が見える。理恵はいつの間にか私の近くに寝転がっていて、刀子は「一応、警戒はしとくわよ」なんて言葉を吐いた途端に理恵の近くに座り始めていた。

 

「空、晴れましたね」

「ですねえ、こっちの方だけですけど」

「……手、ちょっと冷たくなってるじゃないですか」

「あははっ。さっきまでずっと握ってましたからね。立花さんの手、夏より暖かかったですし」

「……ねえ、理恵。本当、穏やかでいいわよね、ここって」

「でも、結構な壁を乗り越えたからこそ、さっきより穏やかに思えるのかも」

「だからと言ってな……本当に壁を乗り越えてここまで来るとは思わなかったぞ、われは」

「ふふっ……ほら! 皆さーん、あっちの方、見えますよねっ!」

 

仰向けのまま私達に声をかけたのぞみが、斜めに指をさす。

のぞみのその指先に、かつては孤児院だった荘厳な建物の跡地が佇んでいた。

神奈がいる場所、楼附孤児院跡の外観。コンクリート造りの純白の壁を眺めているだけで、和らいでいた体の震えが戻ってくる。その震えを抑えようとまぶたを閉じたとき、私の頬に感触がして、感触がした方向から「立花さん」と聞こえてきた。

のぞみに頬を寄せられたのだ。驚きのあまり目を見開くと、目と鼻の先にのぞみの顔が見えてしまう。私の声がくぐもってしまう普段、以上の距離に近づかれているのが分かって、震える以上の何かに襲われた気がした。

これはさすがに、少し近すぎる、かも。

私の左手を握り続けるのぞみの右手はまだ少し冷たいままで、かすかな震えが伝わってくる。

それでも、だいじょうぶですから。私達はもう、ふたりきりじゃないんですから――。

精一杯の強がりが言葉になって零れた。震えたまま顔を振り回して辺りを見回すと、既に刀子が理恵と一緒に、美崎が私達を見つめながら草むらから立ち上がっているのが見えて、のぞみの顔が私から離れる前に、私は、

 

「あっ――」

「のぞみ、ちゃんっ!」

 

ふたりぶんの震えを振り切るように、握りしめたのぞみの手を今度こそ引っ張りきった。

そうして立ち上がった私達は、理恵と刀子と美崎の3人に並んで、それから駆け足になって、孤児院跡の正門に向かって舗装された石畳の道を走り始めていく。

「……理恵さん、刀子さん、美崎さん! 皆さんは先に建物に入っていってくれますか!」

「分かった! ふたりは私が連れていくから、赤槻さんのこと、任せたよ!」

「任されました!」

「のぞみちゃん、神奈さんはどの辺りにいそうですか!」

「少し待ってください、こうやってっ、千里眼で……見つけましたよ、あっち、裏庭の方っ!」

 

神奈に会いに行く為に孤児院跡の正門で3人と一旦別れた私達は、遠くの風景を見渡す千里眼の超能力を利用して、神奈の姿が確認できた裏庭へと石畳の道を外れて走り続ける。

ほとんどが割れきって原型がなくなった窓の残骸と、蔦や蔓ひとつ生えていない純白のコンクリートに、わずか3窓だけが完全に原型を留めた状態で残っていた美しいステンドグラスが私達の側面から流れて過ぎる。

そのすべてを駆け抜けて私達が裏庭にたどり着いたとき、私の手を握りしめる力を強くしたのぞみが、静かに真上の空に向かって指をさした。

私は息を呑んでのぞみがさした空を見上げる。その空の先に――くすんだ金色のポニーテールをした見知った少女、赤槻神奈の姿が浮かんでいた。

「――久しぶり、なんて、さ。……言えないよな、簡単には」

神奈が空から私達の前に降りてくる。

かすれた声で吐き捨てるようにそう言い放って草むらに足をつけた神奈は、暗く、冷たく、悲愴で、そして悲痛なほどの表情を私達に向けたまま、枯れかけた涙を頬まで流していた。

​うらや

​うらや

つた

つる

(​Coming Soon…)

​うらや

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