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突然の訪問者を前にのぞみ達は驚き、戸惑っていた。
何せ、第2生存圏という田舎のなかの、更に僻地にある楼附町に建つ楼附高校の、そのまた更に零細部活として活動するRPG部のことである。
自分達から将来の部員を連れてきたというならまだしも、相手の方から入部希望ですと言われたところで、それをすんなりと受け入れられる体制など整っているはずがなかったのだ。
「そういえば私達、今まで入部希望者が来るパターンを想定してませんでしたよね」
「部長承認制でいいんじゃない?」
「入部届とかないの? あたしはできるならそっちの方がいいと思うんだけど」
「あー、入部届、RPG部にはないんですよねぇ。刀子さんと理恵さんにはまだ伝えてません
でしたけど、ここって実は校長先生に黙認されてるだけの非公式部活動ですから……」
開けられた扉の先では、バッグを背負った小柄な少女が動くこともなく立ち続けている。
のぞみが少女をよく見つめると、少女は肩に手を当て、息を切らしたままのぞみ達に視線を向けているのが分かる。室内の方では蘭、理恵、刀子の3人が既に互いと顔を合わせており、のぞみの動向を時折ちらちらと伺いながらも身振り手振りで相談を始めていた。
対するのぞみは、前にいる小柄な少女と後ろにいる蘭達の間でぐるっと視界を1周させながら思考を巡らせる。それからややあって、蘭から「のぞみちゃんに任せます」と伝えられたのぞみは、ゲーム機をスリープ状態にして部室から出ると勢いよく小柄な少女に向かっていった。
「お待たせしました、部長の白宮のぞみです。入部希望者ということであれば、
まずはあなたの名前と学年、それから入部希望理由の開示を教えていただけますか」
「ああ、心得た。わが名は藤原美崎、2年生である。RPG部の希望理由については、
過日、あちらの刀子とやらが存在を教えてくれた故、訳あって……と、いうことで良いな?」
「はい、問題ありませんよ」
「感謝する。それで、入部にあたり何か他の手続きは必要だろうか?」
「手続き……では、これを握ってくれればおーけーとします。でも、楼附高校には他の部活も
結構あるんですけど、本当にいいんですか? ここ、見ての通りの部活なんですよ」
「悪いな、われは運動音痴なんだ。サッカー部だのバスケ部だのはもうたくさんでな」
少女の近くで立ち止まったのぞみと、小柄な少女――藤原美崎の話が続いていた。
運動音痴、サッカー部だのバスケ部だのはもうたくさん。部室の後ろでそんな言葉を耳にして複雑な表情になった理恵に刀子が寄り添うと、蘭がそのふたりとのぞみを見守り始める。
珍しく真剣な口調になって手際よく話をまとめたのぞみは、制服のポケットから鉛筆と紙を取りだし、乱雑な手さばきでさっと紙に文字を書きだす。ほどなくして書かれ終わったその紙の表面には、目を凝らせば読める程度の汚いひらがなで「にゅーぶとどけ」の字が記されていた。
のぞみの手とともに差しだされた「にゅーぶとどけ」の紙。それを見た美崎は一瞬だけ首をかしげてから、したり顔でのぞみのもとへ、互いに2歩の距離まで歩を進めていく。
「それに、ようやくわれの趣味が通じるのだ」
美崎が、のぞみの手のひらごと紙を強く握りしめる。
少女が感じた少女の手の感触は、想像よりもずっと細く、そして柔らかなものであった。
「っ、藤原さん、あなたは」
「美崎と呼んでくれ。あちらの3人も同様である。ああ、『さん』は付けてもいいぞ」
「美崎、さん――」
「汝らに手土産を託そう。われの感謝の証だ。世に何個残ったかも分からぬ、とっておきの、な」
言葉が終わると、美崎の口元が和らぎ、ふたりの手と手が放された。
のぞみの顔を見て微笑みながらその場に座った美崎は、背負ったバッグを地面に下ろしてファスナーを開き、くしゃくしゃになった「にゅーぶとどけ」の紙を入れてから、両手を使ってバッグの中に保管していた何かを少しずつ引き抜いていく。
やがてバッグから引き抜かれた何かを捉えたのぞみは、その表紙を見据えてそれが1冊の文庫本と数冊の大判本であることを知り、両方の瞳を輝かす。
大判本の表紙に書かれた文字は、BTW2.8。それは大昔、今から50年近く前もの過去に絶版本となったはずのテーブルトーク・ロールプレイングゲーム――ブレイド・ザ・ワールド2.8というTPPGのルールブックとサプリメントであった。
「お、おお……ちょ、ちょっと皆さん、これ、これ凄いですよ! これ……!!」
「ん、のぞみーん、何か良いもの見っけたー?」
「あっ……ま、待って! 刀子先輩が行くならあたしも行く!」
のぞみの呼びかけに反応して、刀子と理恵が部室の外へ走りだす。
ふたりを迎えるようにのぞみと美崎が文庫本と大判本を見せびらかし、部活に新しいRPGが来ましたよ、と活気に満ちた口調で言った。
BTW2.8・ルールブックⅠ。BTW2.8サプリメント・英雄の村バルニカルニ――。
それらの本の内容が何であるか知らない刀子と理恵は最初、タイトルが書かれた本の表紙を眺めて目を疑っていたが、のぞみの笑った顔を見てすぐに納得する。今まで遊んでいたビデオゲームだけじゃなくて、このような本もRPGの一種でよかったのか、なんて思って。
「賑やかですねえ、あっちもこっちも。んじゃ、私もすぐそっちに……って」
「美崎さん、一緒に行きましょう! おーい、立花さーん、こっちはうまくいきましたよー!」
「おお、ともに行こうぞ。とっつげきー、うおーっ」
「ふふ……なんですか、まったく、もうっ。本当、変わりましたね、のぞみちゃんは……」
利き腕に何冊もの本を抱え、もう片手をぶんぶんと振り回しながら。
のぞみと美崎が凄まじい勢いで部室に向かって駆けていき、刀子と理恵がそのふたりを追いかけてばたばたと動きだす。
唯一部室に残って場を見守っていた蘭は、のぞみ達の動きに呆気にとられながらも部室に向かっていく4人を遠くから眺め、深く思案していた。
のぞみは変わった。言葉を交わすこともできなかった半年前のあのときと、蘭以外の誰にも興味がなかった入学直後のあのときから、少なくないものが確かに変わっていって――。
そのなかでもずっと、いつか特別な場所になっていったRPG部の存在がのぞみの心にはあり続けて。だからのぞみは今、こんなにも明るい顔をするようになれたのだ、と。
「改めて自己紹介しよう。わが名は藤原美崎、そこの刀子と同い年の2年生である」
「副部長の立花蘭ですっ。部長ののぞみちゃんともども、今後ともよろしくお願いします」
「書記の朝霧刀子よ。しっかし、まさか本当に来るとはねぇ……。でも、これなら
結果的に紹介できて良かったかしら。改めてこれからよろしくお願いするわね、美崎ちゃん」
「で、んと……あたしは佐藤理恵。一応、会計やってる。えっと……こ、これからよろしくねっ」
部室になだれ込んだ4人と蘭の自己紹介が始まり、数分のうちに終わっていった。
部活の為の準備を始めた部員5人のうち、円卓の上のゲーム機をひと目見てTRPGの文庫本を置いたのぞみがまず部室奥のホワイトボードまで行き、赤いマーカーを握りしめる。
ホワイトボードの端には黒い線で囲まれた「今週の活動記録」の項目があり、そのひとつ上部の項目となる「今週の活動目標」の箇所には、真っ赤な太字体で「いろいろやろうぜ」の金言が書かれていた。
「刀子先輩とあたしのときと違って……美崎さん、なんだか凄くあっさり入ってきたなぁ」
「ちょっと不満かしら? 理恵は」
「たぶん、そうなんだけど。……でも、嬉しいって思ってるあたしもいる、かな」
「じゃあ、もっと複雑な感じだ」
「あ……でも、刀子先輩はちょっと笑ってるみたいだけど」
「えっ? あっ、え……うそ、ほんと……?」
刀子と理恵は隣同士の椅子に座り、互いに話し合っている。対してふたりの反対側の椅子では、美崎が円卓に大判本を置いたあとバッグの中身をごそごそと取りだし始めていた。
バッグから何の変哲もない6面体のサイコロが最初に出て、次にチェスのポーンの形をした数個の駒が出る。
更にその次には大陸が書かれた地図のようなシートが現れ、最後に力を入れて引き抜かれたのが灰色のノートパソコンと充電アダプタだった。ノートパソコンとは数週前、田中教師から業務用として都心だけに残ったものだと教えられたはずの代物である。
「よし、ではこちらも準備開始といこうぞ。んしょ、んしょ、んしょ……っと」
ホワイトボード側では、赤いマーカーを持ったのぞみが「今週の活動目標」内に書かれた「いろいろやろうぜ」の文字を書き替えようとしていた。
円卓組3人とのぞみの中間の場所で清掃魔法を詠唱していた蘭がそれを知り、のぞみに声をかける為にホワイトボードに視線を向けてみると、活動記録の文字が既に書き換えられて「みんなでTRPGを遊ぶ!」になっていたことが分かる。
蘭は小指を鳴らし、本当はのぞみちゃんとふたりで一緒にイグジスタンスレコードを遊びたかったんですけどね、と一笑する。振り返って蘭を呼びかけようとしたのぞみが見た笑顔は、美崎が部室に入ってくる前よりもどこか少し寂しげに見えた。
「あ、のぞみちゃん、わたし……」
「……実は、TRPGを遊ぶには結構なせってぃんぐの時間が必要でして。えーと、その、
なんというか、ですね。立花さんと一緒に遊べる時間、まだ結構残っていて――っ、あっ」
「のぞみちゃんっ!!」
言葉を聞いた蘭がのぞみに飛びかかるように抱きついたのは、何かを誤魔化す為だったのだろうか。
のぞみに真っ向から体を受け止められ、顔を寄せられた蘭は今にもその何かを紡ごうとする口を必死に抑えながら目を逸らしていく。その逸らしていった目の先で、蘭の視界に映った木時計の長針と短針は、ちょうど16時30分を示していた。
「えー、それでは拝啓この私、今日の宣言を始めます! RPG部ーっ、活動開始ーっ!!」
通常下校時刻のチャイムが流れる最中、大きく息を吸ったのぞみは今度こそ部室全体に響き渡るほどの大声で部活動の開始宣言を行うのだった。自らの身に蘭を抱き抱えたままで――。
――結局、この日の部室では以降、目新しい何かが起こることもなく。
美崎が卓上にTRPG用具を並べ終わり、理恵が刀子とともにガイアブレイダーの協力タイムアタックを始めて3体目のボスを撃破し、のぞみと蘭がイグジスタンスレコードのプロローグを攻略した辺りで下校時刻が来て、そうしてきょうの部活動は終了したのであった。
◇
刀子達と別れたのぞみと蘭は、互いに雨傘をさして家への帰り道を歩いていた。
降雨があまりに突然すぎた為にアポートの行使が間に合わなかった結果、のぞみの両腕と後ろ髪に無数の水滴が付着し、蘭の制服まで派手に濡れてしまったのだが、ともあれ。
鮮やかなオレンジ色の曇天からは大雨が降り、丸腰の生徒達が急いで道を走る光景がのぞみ達の周りでぽつりと見えている。あたしみたいに貧乏で雨傘が買えない人もいて、だから雨が嫌いな人も結構いるんだよね、と何日か前、理恵が言っていたのをのぞみは思いだす。
「いやー、きょうは良い日でしたねえ」
「それは、確かにそうですけど。でも、びしょびしょの今言うことじゃっ、くっ、ぬぅ……」
雨粒滴るアスファルトに足をつけて、全身を弾ませるまま蘭に語りかける。
少女の言葉を耳にした蘭は自らの左手で雨傘を持ったまま、のぞみとの距離を離さずに右手を額にあてて、きょう何度目かのため息をついた。
濡れた髪や制服など清掃魔法を使えばある程度は乾ききる。だから生活的な問題は全く無いはずなのだけれど、こういうときの蘭はいつも「心情的な問題も考慮に入れてですね」とでも言いたげな表情になってくぐもってしまうのだ。
のぞみはそれを半年間の付き合いから熟知していた。が、今までどう対応を変えても蘭の反応が変わらなかった故に、今では結局のところ気分次第で話し方を決めている。
「だってぇー、明日からはTRPG遊べるんですよー、TRPGっ」
「……もう。本当、雨が好きなんですね、のぞみちゃんって」
「本当、色々ありましたからね。思い出と言えば雨の日だーっ! みたいな感じで、あははっ」
よし、決めた。きょうは子どものように話していこう。
すっと思考を固めて結論を出したのぞみが満面の笑みでそう喋ると、それに対して蘭は少し口をむっとさせながら雨傘を下げてのぞみに体を近づけた。
それから呆れ混じりに捻りだされた蘭の言葉に対して、のぞみは今度は冗談に本気を重ねて返す。
すると蘭は「ずるいです」と言ったきり、返答の意味を察し、納得したかのように穏やかな表情になって1歩の距離まで遠ざかっていった。
やはり、素直な人は話しやすくていい。
「確か、家にひとつだけ美崎さんのやつと同じルールブックありましたよね。明日に備えて
基本ルールを再確認するのも良さそうじゃないですか? まあ、サイコロは無いですけど……」
「おおー、良いですねえ。じゃあ夜21時台採用ってことで。今週は中間試験の為に
追い込みの宿題しなきゃですからね。気合い入れて行きましょう、立花さん!」
「どの口が言うんですか、まったく……」
「まあまあ、きょうは帰ってからもイグジスタンスレコード一緒に遊べる日ですしー?」
アスファルトの帰り道をふたりで歩き続ける。
何でもないような談笑を繰り返すだけの、部活動の次に大切な時間。
空は赤暗くなった雨雲にまだ包まれていて、ここからでは沈んでいく太陽の姿を確かめることさえできないけれど、大切な時間なのは今だって変わらなくて。
前の方を眺めれば、アスファルトのくぼみにこぼれ落ちた水滴が水たまりに変わっていくのが分かる。
左右には等間隔に立ち並べられた田んぼがあり、それに視線を向けると、既に植えられていた稲が大雨に打たれてみずみずしく輝いているように見えた。
時間をかけて道路の分岐路を右に左に進んでいくと、目的地の林道が近づいてくる。
それを知った蘭は、途端に雨傘を持ち替えて前と同じようにのぞみの手を握ろうとする。しかし今度はのぞみの方から逆に自分の左手を握られたことで反射的に目をつぶってしまい、蘭は口をつぐみながら再びのぞみから目を逸らす。
大雨は全く勢いを弱める気配もなく、ふたりが家に帰ってからも強く降り続けていた。