ビデオゲーム。
数十年前、誰もが遊んでいた娯楽のひとつ。
遊ぶものと、見るものを笑顔にする娯楽のひとつ。
疫病の氾濫により人類の8分の7が破滅に追い込まれ、文明が後退した時に失われた娯楽のひとつ。
黄昏時に君を見たから。
孤児院の個室のなかで、わたしは藁のベッドから起きあがる。
起きて最初にやることは、机の上に朝ごはんが置いてあるかの確認だ。
最近は周辺の開墾が進み、作物の収穫が増えたことで朝ごはんの頻度は2日に1回まで改善したというけれど、
きょうは外れの日らしく、机の上には、朝ごはんの代わりに水の入ったコップが1杯だけ置かれていた。
机の正面に座り、水を1杯飲む。
ごはんは中学校の給食で1食まかなえるから問題ない。おなかが空くのはいつものことなのだから。
水を飲み終えて、つぎにやることはいまが何時かの確認だ。栄養のとれていない細いからだを動かして、
おぼつかない足どりで時計の場所にむかうと、個室の隅に置いてある古びた木造りの置時計が目に入る。
時計の長針は10、短針は7の方向を向いていた。つまり、いまの時刻は午前7時50分ということになる。
頭をよぎったのは遅刻の2文字だった。
「遅刻……ですよね。うん、遅刻です。普通の人なら間違いなく遅刻する時間に起きちゃいました。
もう冬だというのに、最近は起きる時間も遅くて……いえ。遅刻のほうは心配していないんですけど」
この孤児院から学校までは通常、歩いていくと30分の時間がかかる。
院長先生はそう言っていたし、わたしも登校初日のときはそれに近い時間をかけた記憶があった。
1時間目の授業が午前8時20分にはじまるから、これに間にあわない時間に起きるというのは、
普通の人間ならもう遅刻を避けられない事態なのだけれど、わたしにはなんの恐れも、心配のひとつもない。
「わたし、テレポートが使えますから」
いつもどおりテレポートで飛べば、8時ちょうどには登校できるだろうという確信があった。
だってわたしは白宮のぞみ。趣味は古いビデオゲームを遊ぶくらいで、目標も特に決めていないけれど、
いまをときめく中学3年生の女の子で、新人類のひとりで、テレポートが使える超能力者なのだから。
「さて、今日も元気に… …いえ。……そもそも元気ってどんな状態なのでしょうか。
いつもどおり調子は出てくるんですけど。これが元気っていうと少しちがう気がしてきます。
昔の人は元気だったんでしょうか、とは何度も考えてますけど……ううん。いまはそれよりテレポートですね」
超能力のひとつ、テレポートの使いかたは簡単に見えて意外に難しい。
頭にテレポート先の場所の風景を思いうかべて、転移が起こるまで強く念じつづける必要があるからだ。
とはいえ、いまのわたしにとってはそれほど難しいことではない。
ただ念じるだけでは味気ないとさえ思うし、むしろ、雰囲気を出すために「むむむむん」とつぶやきながら
念じてみようとか、テレポートを使う前にそんなことを考える余裕があるほどだった。
「……よし、それではテレポート開始です。むむむむん、むむむむむん……っ、と。
オッケー、見えました! まずはテレポート・イン! そして、テレ……ポ、あっ」
テレポート・アウトと言おうとした途端、黒くなっていく視界に対して、考える間もなくわたしは意識を手放す。
それからおそらく何分かが経ったころ。今度は視界が白くなっていき、同時に葉っぱのガサガサと揺れる音が
聞こえるようになる。数秒後、肌の感覚がもどり、自分が風に打たれていることがわかった。そうして、わたしは次に意識を取りもどす。辺りを見回すと、目の前にはいつのまにか見覚えのある中学校の校門があった。テレポートの成否を確認するため校門を見ると、木板には私立楼附中学校と書かれていた。わたしはテレポートに成功したのだ。