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門戸は試験と共に叩かれた

「それにしても、きょうは一段と曇ってますねぇ」

「もう梅雨も近い時期ですからね。ラジオの予報でも降水率は70%って言ってましたし」

 

西暦2078年5月9日、月曜日、曇りの日。

暗雲に包まれた空の下、のぞみと蘭はひび割れたアスファルトで出来た通学路を歩いていた。

否、正確にはのぞみの足が地面から数ミリメートルだけ浮いていた。のぞみが超能力のひとつ、浮遊能力のレビテーションを行使したからである。

そればかりか、のぞみの全身は超能力の効果で青白く発光していた。僅か数秒後、当然のように発光を指摘されたのぞみは涼しい顔で超能力を止めると、蘭の手を握って再び歩きだす。

 

「曇りはそんなに好きじゃないですけど、雨は結構好きですよ」

「のぞみちゃんもそうなんですか?」

「ガイアブレイダーの主人公、アレンの台詞です。ここくらいでしか使えそうになかったので」

「のぞみちゃん、もしかして照れてますか?」

「……いえ。そんなことは、ないと思います。たぶん……」

 

のぞみと蘭の周りで、登校中の生徒の姿がぽつぽつと現れていた。

ただ登校するだけの者と、ごく少数の談笑を試みる者達。そんな生徒達の姿を眺めながらふたりが歩き続けていると、ほどなくしてふたりの目前にレンガ造りの校門が現れる。

壁に書かれた「私立楼附高等学校」の文字を見たのぞみが、生徒達を外側に押し込みながら校門に一礼する。それを見た蘭がのぞみを追いかけようとした時、通学路の方から大声がした。

大声を聞いたふたりが通学路に目を寄せる。すると、ふたりの視界にアスファルトを疾走する刀子の姿と、息を切らして刀子を追いかける理恵の姿が映った。

 

「あっ、あれのぞみじゃない? おーい、おっはよー、のぞみーんっ!」

「ちょっと刀子先輩、急に走ったらこっちが転ぶって、わ、わ……っ、あ、危な……っ」

「だ、大丈夫ですか、理恵さんっ」

「……うん。……あっ、靴のひも、ほどけてたんだ。てっきり落とし穴に落ちたものかと……」

「いやいや、流石に落とし穴はありませんって。

 ここ校門の前ですから、本当にあるとしたら先に他の生徒が落ちてるんじゃないでしょうか」

「……はっ、言われてみればっ。ああもう、あたしこんなこと考えてばっかりだーっ」

 

通学路から校門前に向かって、刀子と理恵がふたりに駆け寄る。

サイコキネシスを纏った腕で刀子の体を受け止めたのぞみが挨拶を返すと、同時に理恵も転びかけた体を蘭に支えられながらたどたどしく「おはよう」と言った。

それから、まず最初に刀子が校門をくぐり、次にのぞみ、蘭、理恵の順番で中庭から校舎へと走っていく。1時間目の始まりを告げるチャイムが鳴ったのは、校舎の中、階段の近くで刀子と別れた3人が同じ教室に入った時のことであった。

 

 

「起立、礼、ちゃくせーき。えー、さて、1時間目、現代社会の授業を始めるぞー。

 全員教科書開け、27ページな。今回は西暦2028年下半期の政府側の行動を取り扱うが、

 来週の中間試験に備え、君達には居眠りなどせずただ勉学に励んでもらえると嬉しく思うぞ」

「ああ、もうそんな時期だったんですか……」

「あっという間だよね。あたし達って部活ばっかりだし、時間感覚おかしくなってるのかも」

「ふふっ、ありえますね。試験、私は82点前後の見積もりですけど、理恵さんは?」

「65点くらいかなぁ。ほら、あたしやっぱり平凡だからさ。物覚えあんまりよくないし……」

「あの、理恵さん。それ全然平凡じゃないです。中学の方、平均48点だったんですからね……」

 

蘭と理恵の正面、教壇の上で、無地の服を着た長身の女性が力のない声を上げていた。

田中教師である。周囲の生徒達から「指示棒の田中」と呼ばれる彼女の言葉が場に響き渡って、まず教室中がざわついた。

四方八方から発される「きょう田中かぁ」の声とため息。呆れたような顔をする理恵を横目に、左手で顔の半分を覆った蘭は、四方八方を睨みつけたあと、のぞみが座る右隣の席に視線を向けようとして――次の瞬間、のぞみの寝息が蘭の耳を通った。

蘭は肩を落としながら右手で顔のもう半分を覆って、深くため息をつく。

現代社会1年の内容をすべて知っているからといって居眠りのフリをするのはいかがなものだ

ろうか。蘭は最初、無表情のままそう考えていたが、やがて普段と同じようにのぞみからテレパシーが繋げられると、途端に顔色を変えてのぞみに念を送り始める。

 

《ん、繋がりましたか。まったく、少し余裕が出るといつもこれなんですから……》

《いやー、だって退屈ですし。他の授業なら聞きますけど、この辺は全部知ってますからねえ》

《……はぁ。なら、いつも通り帰宅後のお話の時間、増やしてくれますよね?》

《おっけー、りょーかいです。こっちもいつも通り問題出たら起きますねっ。おーばーっ》

 

そうして短い時間でテレパシーを終わらせた蘭は、顔から離した両手をぐっと握りしめ、左隣に座る理恵に笑顔で向き直ると、高らかに叫んだ。

理恵以外の教室中の生徒が蘭に視線を向け返すが、蘭は意に介さなかった。今の蘭にとってもはや、のぞみと理恵以外の全生徒が認識の外にあったからである。

一方、理恵が見据えている教壇の上では、白いチョークを使って黒板に文章と図形を書き連ねる田中教師の姿があった。

 

「んじゃ次、一旦27ページの最初の方から出題するぞ。回答したい人は構えてくれよなー」

「んー……ん、ほへ?」

「のぞみちゃん、なんて声出してるんですか……」

「……いや、今のあたしなら1秒とコンマ2秒でいける。今度こそ最初に挙手してみせる……」

 

田中教師の言葉を聞いて、蘭は机の上の木箱に鉛筆を戻す。

左隣には片手を握りしめ、前のめりになりながら小声で何かをつぶやき続ける理恵がいて、右隣には頭をパリポリと掻きながらあくびをかくのぞみがいる。

少しの間、蘭はそれを眺めたまま額に人差し指を当てていた。しかし勢いよく体をひるがえした田中教師が両目を細め、鼻息を立てて、口元に笑みを浮かべながら指示棒をクルクルと上下左右に回し始めるのを見て、蘭は握った左手をそのままにして静かにその時を待つことにした。

 

「西暦2028年7月5日、政府はβ症候群への対応の為、特級緊急事態宣言ならびに

 全国民に向けた関東地方への強制密集指示を発令。これにより関東地方を除く7地方の都市

 機能は放棄されることになったんだ。んで……はい、ここで問題! この時の政府のせ――」

「はいっ!」

「ちょ、は、早っ……!」

「おー、今回も白宮のぞみさんか。これで7連続だな。ん、いつも通り回答頼むぞー」

「『βウイルスによるβ症候群に対応する為の都市機能ならびに国民の密集を支持する若干の

 政策措置』です。『密集政策』は同日、政府が公布したその措置の通称ですね」

「大正解、2重丸の答えだぞ! なあ、それどこで知ったんだ? 先生に教えてくれよー!」

 

問題が出された瞬間、猛烈に飛び上がったのぞみが誰よりも早く手を挙げていた。

田中先生の言葉が返ってくるなか、蘭の横から椅子が傾くときのカタ、という音が聞こえてくる。見回すように目を向ければ、椅子から転げ落ちそうになっている理恵の姿が一瞬、瞳に映った。

蘭の想像通りのぞみは完全な回答を見せている。

しかし、田中教師がそれに対して指示棒回しの速度を上げながら子どものような満面の笑顔でのぞみに話し始めると、教室内のため息はさらに増えていき、およそ5分後になって授業再開が告げられるころにはもう、のぞみと蘭が周囲を見渡す限り、真剣な体勢で教壇を見据えているのは理恵ひとりだけになっていた。

3人の何の変哲もない1時間目の授業はこうして始まり、終わっていった。

 

 

「うおおおーっ、くらえ必殺、超降下攻撃! いやっほーっ!」

 

放課後、校舎裏、どんよりとした曇り空の下にて。

部室の外から刀子の叫び声が発されて、ドスンという着地音が地面に響いた。

刀子の動きを知って呆れる蘭。それに対して理恵は苦笑し、のぞみは顔色ひとつ変えず椅子に座り続けていたが、いざ扉が開いて刀子が部室に戻ってきた途端、のぞみと蘭の反応よりも早く理恵が正面から飛び込んで刀子に抱きついた。

不意を打たれた刀子は体勢を整える間もなく全身を押され、そのまま体勢を崩して外の草地に倒れていく。寸でのところでのぞみと蘭に理恵ごと両隣を支えられた刀子だったが、しかし支えていた蘭の体幹が崩れた結果、のぞみ以外の3人の両足が宙を舞い、最終的には全員揃って部室の中へと倒れ込んでいった。

 

「えへへー、とーこせんぱーい」

「……くぅ、気分良くて油断してた。あーもう理恵、こんなの2度と通用させないんだからx」

 

部室の扉を閉め、体勢を立て直した4人は軽く言葉を交わしてまばらに動いていく。

部屋の端に収納していた2台のスーツケースをのぞみが運ぶなか、蘭は椅子に座り、円卓の上で朝霧屋諸製ミニチョコを開封し始める。

理恵がそれらを見物にしながら持ってきた小型のラジオ受信機の電源をつけたとき、刀子はホワイトボードに赤文字で書かれた「今週のRPG記録」の加筆を試みていた。

 

「立花さん、スーツケース持ってきましたよ」

「感謝します、のぞみちゃん。それでは……解析魔法、詠唱開始。参照魔法、んと、ええと……

 ディスペルマジックと、テンポラリアンロック。多重術式起動。効果処理開始……っと」

「おお、今回のは2重掛けですか。相変わらず良いせきゅりてぃしてますねー」

「窃盗とか空き巣とかされたら終わりですからね。だってここ、合鍵ありませんし……」

 

のぞみが円卓まで運んだスーツケースを預かり、蘭は解析魔法の詠唱を始める。

蘭の足元、椅子の下のフローリングに、七芒星の図形が描かれた魔法陣が重なって現れた。

魔法陣の存在に気づいた理恵が急いでラジオを切り、刀子に合図を送って駆けだそうとする。

瞬間、部室の中を閃光が覆い、その直後、閃光は最初からなかったかのように魔法陣ごと消え去った。昨日に蘭が掛けていた2重の施錠、マジックレジストとオブジェクトロッキングが解除されたのである。

蘭は、チョコを咥えたままのぞみに顔を寄せて微笑む。

それを見て軽く頷いたのぞみはアポートの超能力で専用の鍵を取り寄せると、2台のスーツケースの物理施錠を開錠し、蘭とともにそれぞれ片方を開け始める。スーツケースはそのまま何事もなく開き、中に入っていた数台のゲーム機と無数のソフトが4人の視界に映った。

 

「……よし、きょうはこれにしましょう」

「イグジスタンスレコード……確か、1人用のRPGでしたよね」

「メンタル・ワンもノヴァの方もだいぶ遊びましたし、ここらで新しいのをやってみようかと」

「……ふふっ。じゃあ、私もイグジスタンスレコードにしますねっ」

「立花さん?」

「ん、んん……ええとですね。……つ、つまり……のぞみちゃんと同じがいいってことですっ」

 

私も、という言葉を聞いて振り返ったのぞみが真正面から蘭の顔を見つめた。

それだけで、蘭は澄みきった表情に反して口をうまく動かせなくなって、のぞみに背を向けておぼつかない声を発するようになる。

蘭は藍色の携帯型ゲーム機とイグジスタンスレコードの箱を握っていて、のぞみも白色の同じ機体とソフトの箱を握っていた。のぞみは、蘭のその後ろ姿をほんの少しだけ眺めながら口元をほころばせ、ゆっくりと蘭に返事をする。

それからふたりが円卓の向こう側をひと目見ると、据置型ゲーム機とガイアブレイダーの箱を持った刀子と理恵が部室の左の壁際、テレビに向かって歩いているのが分かった。

 

「刀子先輩、またガイアブレイダーやるんだ。ここ来てから、これで4週目だよね?」

「家でやってたのを含めるんだったら、もう何週やったか忘れちゃったけどね」

「……ねえ、久しぶりにふたりでタイムアタックしない?」

「おー、それもいいわねえ。……んじゃ、今回は素直に理恵の提案に甘えようかしら」

 

刀子と理恵めがけて大きく手を振り、蘭とともに近くの椅子に座ったのぞみは、円卓の上で携帯型ゲーム機の起動に取り掛かった。

程なくして液晶が光り、画面にイグジスタンスレコードのアイコンが新しく表示される。

のぞみがそれに触れると、20秒ほどのロード時間を経たのち、のぞみの眼前に色褪せた草原と白色の空と、空中を飛行する戦艦のような機構体が描かれたタイトル画面が現れた。

辺りを見渡せば、いつの間にか、隣の椅子には藍色のゲーム機を持った蘭が座っていた。

そして隣から自らの名前を呼ばれたのぞみは、いちどゲーム機を円卓に置いて普段通りに「おーけーですっ」と返すと、姿勢を整えて大きく息を吸い始める。

 

「たのもー、入部希望者であるぞ」

 

がこん、どんっ。

部室の扉が勢いよく開けられて、外の草地から小柄な少女が現れたのは、のぞみが部室全体に響き渡るほどの大声で活動開始の宣言をしようとした、ちょうどその時のことであった。

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