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のぞみと蘭が朝と夜を過ごす2階の部屋は、照明もなく暗闇に包まれていた。
部屋の奥には質素なカレンダーが貼られており、片隅にはタンスと木時計、床には1枚の敷布団が敷かれている。しかしそれらがのぞみの目にはっきりと映ることはなく、窓ガラス越しに映る、煌々と輝く星空だけが明かりのないこの部屋を照らしていた。
「おーけー、準備完了ですっ」
きぃぃ、と鳥の鳴き声が外の林道から響くなか、暗闇の中心でのぞみが念じ始めた。
物体返送の超能力、アポートの行使である。それによって部室にあった携帯型ゲーム機とソフトケースがのぞみの手のひらに返送されてくると、のぞみは伸ばした手を胸元の辺りまで戻して手早くゲーム機の電源ボタンを押す。
数秒後、ゲーム機が起動して液晶が輝いた。すると部屋に淡い明かりが差し、敷布団の上に座っていたのぞみの体が光に照らされる。
「さて、立花さんが戻ってくるまで、きょうもここでこっそり、と」
ボタンをポチポチと押してゲーム機の音量をゼロにした後、のぞみは握ったソフトケースから「メンタル・ワン」という名のゲーム1本を取りだしてゲーム機に差し込む。
このゲームは放課後に遊んだ「リアリティスター・ノヴァ」とは違い、正方形で区切られた無数の「マス目」で形成される3D調のダンジョンを1歩ずつ探索する、という協力要素のない1人用のターン制RPGであった。
液晶画面に表示された「メンタル・ワン」のタイトル画面を眺め、のぞみは意気揚々とコンティニューの項目を押す。しかし部屋の外から蘭のものと思しき声と足音を聞いた瞬間、のぞみはその後の流れを察したように電源ボタンを押し、スリープ状態にしたゲーム機をそっと腕に抱えていった。
「のぞみちゃん、そこにいますか? というか、そこでゲーム遊ぼうとしてましたね?」
「…………」
「何も言わなくてもそこにいるのは分かってますよ。のぞみちゃんが家でテレポートした日、
いつもそこに隠れてるの、私知ってるんですからね。ということで今からそこの扉、開けて
いいですよねっ」
「……はい、おーけーですっ」
「こういう時はすぐOKしてくれますよね、のぞみちゃんって。はい、では早速……あっ。
いえ、その前に私、良いこと思いついちゃいました」
「良いこと……って、まさかっ」
「少し前、のぞみちゃんが同じことやったときに考えてたんです。どうせ遊ぶなら明るい場所で
遊べた方がいいじゃないですかってやつで。えー、なので、きょうはその部屋、私が照らして
あげようかと思いましてですね。ほら私、最近良い魔法を覚えたんですよっ」
「あっ、ちょ、な、急に何やってるんですか立花さっ――」
解析魔法、詠唱開始。参照魔法、レミライト。術式起動、効果処理開始。
目を閉じながら蘭がそうつぶやき終えると、蘭の立っている床に六芒星が描かれた紫色の魔法陣が瞬時に出現し、同時に扉の向こうからそれを見ていたのぞみにひと筋の冷や汗が流れる。
それから少しして、不意にのぞみの全身が光り輝いた。
蘭が詠唱した「レミライト」の効果によって突然、のぞみの周囲の半径数メートルだけが、まるでのぞみのいる場所に白熱電球が置かれたかのように照らされたのである。
「な、何か、私のところだけ凄く光ってますけど! 大丈夫なんですか、これ……!?」
「はい、レミライトの魔法は400歩の間だけ掛けられた人の周りを照らす効果があるんです
よ。素敵だと思いませんかっ」
立花蘭は魔法使いである。それも、のぞみがゲームを遊ぶときに見るような一般的な魔法使いではなく、プログラム上で「魔法」や「呪文」と定義された効果を再現して現実に起こすことができる、蘭自身が過去に「解析魔法」と名付けた特殊な類の魔法使いであった。
「ん、それじゃあのぞみちゃん、部屋、入りますねっ」
「あっ……はいっ。いつでも来ていいですよー」
魔法陣を腕のひと振りで消しながらゆっくりと部屋の扉を開けた蘭の目に、戸惑いの表情でゲーム機を抱えるのぞみの姿と、のぞみの周囲を照らすドーム状の光が映った。
部屋に入ってくる蘭の姿を見たのぞみは、腕に抱えていたゲーム機を再度握りしめて電源ボタンを押すと、再び「メンタル・ワン」を起動させる。
「メンタル・ワン」のタイトル画面からコンティニューを選んでゲームを始めたのぞみを横目に、光に照らされたカレンダーの前に向かった蘭は、ポケットから鉛筆を取りだしてカレンダーの「4月13日」の部分にチェックの字を付けていった。
「ゲームの方、順調ですか?」
「なかなかうまくいってます。これなら今度こそボス戦ちゃれんじに成功するかもですよっ」
鉛筆を戻して振り返った蘭を視界に収め、のぞみは右腕を振って手招きをした。
その動きに誘われてのぞみが座る敷布団の方へ早足で向かった蘭は、そのままのぞみの隣に座って「それ、見ていいですか」とのぞみに声を掛ける。
のぞみは言葉を発さず、蘭に全身を近づけて深くうなずく。それを確認した蘭は自分の顔をのぞみの頬のすぐ近くまで寄せ、至近距離からのぞみのゲーム機を眺め始めた。
「おおっ、やりましたっ。やっと、やーっと、ボスがレアアイテム落としてくれましたー!」
「そのゲーム、中学からずっと遊び続けてたやつですよね。それもあの敵、前に見たのと同じ
ボスですし……あの、今のところのボスって何回くらい戦ったんですか?」
「うーん……確か、これで183回目だった気がします」
「……よく頑張りましたね、のぞみちゃん」
魔法の光に照らされながら、ふたりの時間は何事もなく流れてゆく。
それから一体どれほどの時間が経ったのか。ふと部屋の木時計に目を寄せた蘭は、時計の針を見て一瞬驚き、のぞみの姿を見て納得した。木時計の針はふたりが普段、就寝する時刻を過ぎた21時48分を示していたのだ。
「ん、22時が近くなってきてます。そろそろ寝ないといけませんね」
「りょーかいですっ」
物体移送の超能力、アスポートでゲーム機を部室に送り返したあと、蘭の方に振り返ったのぞみは微笑みながらそう答える。
蘭がタンスの上段を開けて自分用の布団を取り出している間、のぞみはタンスの下段から2個の枕を持ちだし、1個を自らの布団に落とす。そして掛布団と敷布団を抱えてきた蘭に向かってもう1個の枕を投げると、蘭は反射的に両方の布団を落としてから枕を受け止めた。
落とした布団に枕を重ねようとする蘭の姿をひと目見て、のぞみはタンスの下段から粗雑な毛布2枚を手に取って1枚目を自らの布団の上に落とし、もう1枚を蘭の布団の近くにそっと置いていく。そうしてすべての準備を終えたふたりは、最後に毛布を自分の体に乗せてから布団のなかに転がった。
「おやすみなさい、立花さん」
「……おやすみなさい、のぞみちゃん」
仰向けの体勢になって目を閉じ始めたのぞみの姿を見て、蘭がぱちんと指を鳴らす。
その動作でのぞみに掛かっていた魔法、レミライトの効果が失われると、のぞみの周囲を照らしていた光も消え、ふたりの部屋は再び暗闇に包まれていった。
「ふふっ。わたし、これからもずっと、立花さんとRPG部でいっしょに……ん、すぅ……」
「……もう、のぞみちゃんったら。ふふっ、ずーっと、いっしょについてますからね。安心していいんですよ」
「……やくそく、ですか?」
「やくそくですっ」
「……えへへ…………すぅ、すぅ」
「……ん。……おやすみなさい、のぞみちゃん」
蘭の方へ寝返りをうち、横向きになったのぞみに蘭は言葉を返した。
蘭はのぞみが声を発するたびに何度かそれを繰り返したあと、やがてのぞみから何も返ってこなくなったことでのぞみが眠ったのだと知り、自らもまぶたを閉じて眠り始める。
夜遅くも過ぎるころ、再び静寂に戻ったふたりの部屋をやはり、窓ガラス越しに映る、煌々と輝く星空だけが照らしていた。
(第1話「始まりに同じ景色を見た」了)