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一人娘は孤独の夢を知った

西暦2078年4月14日、木曜日、晴れの日。

青い空と白い雲が混ざりあった晴天の下、ぱちりとまぶたを開けて目を覚ました立花蘭は、藍色の短髪を両手で抱えて起き上がったあと、掛布団の上に座る体勢になる。

そして蘭は自らの横にあるのぞみの掛布団に目を向けると、そのままのぞみに声をかけようとして、掛布団の上にのぞみの姿がないことに気づいた。

辺りを見回してものぞみの姿が見えず、微かに動揺する蘭であったが、視界の隅に6時37分を示す置時計が映って自らが7分だけ寝坊したことを知った瞬間、左手を前髪の端から端へとスライドさせることで冷静さを取り戻した。

 

「ふふっ、まったくのぞみちゃんったら。大方、運動室にテレポートでもしたんでしょうねっ。

 ……こうしてはいられません、早くのぞみちゃんを見つけにいかなければ……!」

 

蘭は部屋の入口へ向かうと同時に、家での活動時間を短縮できないかと思考し始める。

すなわち、家の中はつねに早足で行動し、くつろぐ時間を省略し、それでも足りないなら朝ごはんの保存を両親に頼みこむ、といったことである。そして最も重要であるのぞみの動向に対しては、蘭は「のぞみは1階の運動室で待っている」と確信していた。

それは「明日から運動を始める」というきのうののぞみの言葉を蘭が記憶していたからであり、それ以上に、数ヵ月間の生活の中で蘭がのぞみの人となりを熟知しているからこその確信であった。

故に蘭はそれらの思考を1分かけずに終えた後、入口の扉をかこんと開く。そして廊下を急いで駆けると、手前にある階段を使って1階へと降りていった。

 

「よっ、ほっ、はっ! そぉれ、くるくる……っと!」

 

トントントントン、と間隔の短い足音が階段から響き渡る。

その足音に気づいた蘭の母親が左手を振って合図すると、テーブルの向こう側で小さい白パンを食べていた蘭の父親がその合図を見て立ち上がり、両手を前に出して構え始めた。

対して階段の中腹まで一足飛びで降りた蘭は、両手で手すりを握り、手すりにぶら下がる体勢になって階段を滑り降りる。そして階段の床に足をつけた蘭は一気に跳び上がると、事もなげに空中で1回転してから1階に着地し、構えを解いた父親にゆっくりと近づいて声をかけた。

 

「あっ、お父さん! のぞみちゃんがどこに行ったか知りませんか?」

「そうだなぁ。きょう1階に降りてきたのは蘭だけで、あいにくのぞみの姿は見ていないが……

 何分か前、1階の別の部屋からブンって音が聞こえたぞ。あれは運動室の方で間違いなかったな」

「……あっ!! ありがとうございます、お父さんっ」

 

父親からの言葉を聞いて微笑みながら振り返った蘭は、次に6時41分を示す時計を見上げて、安心しながら部屋の奥にある「運動室」と書かれたふすまへ向かう。

ふすまの前に着いて一旦立ち止まった蘭は、正座になってから頭を下げて「失礼します」と声を発し、ふすまの引き手に触れる。そして蘭は、自らの部屋で前髪に対してそうしたときより更にゆっくりと左手を動かしてふすまを開けた。

 

「あ、相変わらず暗いですね……」

 

そうして、ガラスの窓もろうそくの光もない、ひときわ薄暗い運動室の内装が蘭の目に映った。

運動室の床は他の部屋と同じく薄緑色の畳で統一されており、壁は木の板1色の壁である。部屋にはほとんど小物が置かれておらず、存在を微かに主張するのは左隅に置かれた木刀袋と、袋の近くに立つ不格好な木造りのかかしだけだった。

光源の魔法を使うまでもなく、自らの目と記憶を頼りに運動室の内装を把握した蘭は、のぞみを呼びながら運動室に入ろうとする。しかし部屋の中央でゆらめく、見覚えのない細長い影を見て蘭が足をすくませると、部屋の隅へと動いて蘭の視界から消えていった。

 

「……の、のぞみちゃん、そっちにいますかー? 反応してくださーいっ。

 は……反応しないときのうの寝言ぜんぶ言っちゃいますからねっ。ほら、3秒、2びょ――」

「あっ、おはようございます! 待ってましたよ、立花さん! それーっ!」

「ひゃっ! ちょ、ちょっと、喋ってる時に突然はやめ……っ。も、もうっ、仕方ないですね……」

 

数秒後、蘭は喉元を擦りながら運動室への突入に成功する。しかし目の前にふたたび影が現れると、その影は背までかかった青白い髪をわさっと揺らしながら蘭の懐に飛び込み、蘭の肩に体をすり寄せ始める。身長の3分の2近くの長さ、約100センチの木刀を腰に携えたその影の正体はまさしく白宮のぞみであった。

 

「私、きのう言った通り、久しぶりに運動したくて早起きしたんです。それで立花さんが普段起きる6時40分に

 合わせて部屋に戻ったのですが……あはは、入れ違いになってしまいましたね」

「の……っ、のぞみちゃんと少しでも一緒になりたくて、頑張って3分も早く起きたのにーっ!」

「……あっ。そ、そうですね。でしたら立花さん、この、ええと……『勇者の剣』を使った運動を見ていきません

 か? ああ、でも、ぜひレミライトで部屋を明るくしていただいてから……!」

「もう、調子いいんですから。……おーけーです。でも3分までですよ。それ以上は学校に遅刻してしまいます

 からね。では……解析魔法、詠唱開始。参照先、レミライト。術式起動!」

 

運動室の室内に駆け足で戻っていくのぞみを追いかけながらふすまを閉めた蘭は、昨日と同じように「レミライト」の魔法を詠唱する。そしてレミライトがのぞみに掛かって効果が起こった瞬間、のぞみの体が輝いて、薄暗い室内がその光に強く照らされた。

室内の左隅へと避難する蘭を確認したあと直立の体勢になったのぞみは、腰の木刀に手をかけると右手で柄の上部を、左手で鞘を握りしめ、そのままゆっくりと目を閉じる。瞬く間にその体勢になったのぞみが木刀を振り抜くまでの数秒間、蘭は息をすることも忘れてのぞみの姿を眺めていた。

 

「――はっ!!」

 

音もなく抜かれた木刀。

すべての集中が込められたそれに目を凝らせば、視界がスローモーションに変わっていって。

通常の何分の1という速度で動いていくその視界すらも置き去りにするように、斜め上へと向かって動いていく残像だけが、まばたきのあとの景色に残る。

木刀は既にのぞみの目の前に戻り、真上に構えられていた。のぞみは右手で柄の上部を、左手で柄の下部を握りしめた状態から両腕とともに木刀を頭上まで振り上げると、即座にそれを振り下ろし、間髪入れずに両腕を引いて木刀を横に向けた。

 

「よっ、ほっ、はっ、くるくる、それそれ、はいはいっ……!」

 

右足を前に、左足を後ろに動かし、腰を落とした体勢から木刀を横薙ぎしたのぞみは、一瞬動きを止めて直立の体勢に戻ると、逆手に持ち替えて木刀を振り上げる。そしてふたたび両腕を引いて木刀を懐に戻したのぞみは、持ち方を元の順手にしてから勢いよく木刀を振り下ろしたあと、自らをくるりと1回転させながらそれを再度斜め上へと薙ぎ払った。

そのような光景が30秒ほど続いた末に、のぞみは息を切らしながら鞘に木刀を収める。

そうして部屋の左端にある木刀袋にその鞘を戻したのぞみであったが、自らに駆け寄ってくる蘭の姿を見て、満足げな表情で蘭のところへ歩いていった。

「ふぅ、こんなものですね。半年ぶりの運動でしたが、動きが鈍ってなくてよかったですよ。

 立花さん、どうでしたか? なにぶん本当に久しぶりで、30秒くらいしか見せられなくて――」

「あ、あのっ! ……明日も見せてくださいっ。明日はもっと早起きしますから……!」

「あっ……ふふっ、おーけーですっ! それなら私も、立花さんが起きるまで部屋で待ちますよっ」

 

蘭の言葉に笑って返しながら、のぞみは運動室のふすまを開けて蘭の両親がいた元の部屋へ向かっていく。

のぞみのその動きを見た蘭も「レミライト」の魔法を解除し、運動室を出てからふすまを閉じると、のぞみの方へ走りだした。

どたばたとしたふたりの動きを蘭の両親が見守る中、ふたりはテーブルに置かれた小さい白パンを手に取り、それを口に含むと数分かけて完食する。

 

「ところでのぞみちゃん、『勇者の剣』ってその木刀のことなんですよね?」

「はいっ!」

「なんで木刀にそんな大層な名前付けたんですかっ。オーバーですかっ。

 それに、あなた勇者でもなんでもないですよねっ。しかもそれ剣じゃなくて刀じゃないですかっ!」

「験担ぎですからねっ!

 それに知っていますか立花さん。持っていた木刀が最強武器に変わるRPGもあるんですよ?」

「知ってます! 知ってますけどそれ『勇者の剣』じゃなくて『風林火山』じゃないですかーっ!」

 

部屋の時計が6時50分を示すころ、玄関の前まで来たふたりは蘭の両親に「いってきます」と告げて外への扉を開ける。そうして、ふたりは蘭の両親に見送られるまま楼附高校に繋がる林道を降りていった。

げん

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